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「いつもの私」がこれほどまでに不快な理由

客観性の鏡が映し出した「理屈っぽい」真実

再生ボタンを押して出会った「知らない自分」

自分の声を録音で聞いた時の、あの言いようのない居心地の悪さ。
多くの人が経験するこの「自己乖離」の瞬間は、通常、物理的な音波の伝達経路の違いによる違和感として処理されるそうです。
しかし、その違和感が単なる「音」の差異を超え、自分自身の「人間としての在り方」そのものに向けられた時、私たちはもっと根源的で、逃げ場のない衝撃を受けることになります。
それが私の経験・・→https://0comb.com/2026/01/05/rikutsu/

先日、私はまさにその「パンドラの箱」を開けてしまいました。
昨日のコラムの通り・・・。

画面の向こう側にいたのは、私が理想としてきた「謙虚な探求者」とは程遠い、一人の傲慢な姿でした。

「自分らしさ」と「違和感」の奇妙な共存

画面に映っていたのは、見知らぬ誰かではありませんでした。
紛れもない「いつもの私」です。
その身振り、口癖、思考の癖。そ
れらが客観性の鏡であるディスプレイによって鮮明に可視化された時、
私は自分自身に対して強烈な拒絶感を抱きました。

「自分らしくない」から不快なのではなく、「これこそが自分である」という事実を突きつけられたことが、何より苦痛だったのです😢。

画像の中の私は積極的に参加していて、確かに、たくさん質問をしていました。でも、その質問の仕方が、今振り返ると、とても理屈っぽい。
その上、録画に映っていたのは、“いつもの私”でした。
身に覚えがあるのです。
客観的にみると、明らかに鼻高々で、どこか偉そうでした。

「知りたい」という純粋な動機は、巧妙に編み上げられた論理の鎧に隠され、透けて見えるのは「私はここまで分かっている」という浅ましい自己顕示。
なぜ、知性的であろうとする私の営みは、これほどまでに醜悪な「理屈っぽさ」へと変質してしまったのでしょうか。
(書いていて、相当恥ずかしいのですが・・・)

「論理性」が「理屈っぽさ」へと変質する境界線

語用論(※)の視点からこの「理屈っぽさ」を解剖すると、H.P. Griceが提唱した「協調の原理」の著しい逸脱が思い浮かびます。
特に私が多用していた「私はここまでは理解しているのですが」という枕詞は、情報の過不足を律する「量の公理」に反するだけでなく、簡潔さを求める「様態の公理」を、悲しいかな、侵害していました。

冗長で回りくどい論理展開は、
聞き手にとって新情報としての価値が低く、単なる「知性の誇示」として機能します。
これは関連性理論における「不必要な認知的負荷」を強いる行為と思えます。
さらに深刻なのは、相手の「ネガティブ・フェイス(自分の自由を阻害されたくない、尊重されたいという欲求)」を侵害するいわゆるフェイス侵害行為(FTA)ではないでしょうか・・・。(ポライトネス理論より、応用)

「論理的思考」と「理屈っぽさ」の決定的な差異を整理してみました。

特徴論理的 (Logical)理屈っぽい (Argumentative)
視点と批判性批判的思考(Critical Thinking)に基づき、自らの前提すら疑う。自己中心的。内的整合性のみに固執し、前提の誤りを無視する。
目的相互理解、真理の探究、問題解決。自己正当化、優位性の確保、責任回避。
情報の透明性思考の飛躍を排し、第三者が検証可能なプロセスを公開する。結論を正当化するための理由を後付けする(屁理屈)。
認知的コスト最小の努力で最大の理解を促すよう最適化されている。自明な説明を重ね、相手に過大な認知的負荷を強いる。

私は正確性を追求しているつもりで、実は聞き手にとって「効率の悪い、自己満足的な行為」を押し付けていたのです。その上、自分自身をも疑っている「そぶり」を見せているというか、、、、。

※語用論:特定の文脈において話し手が言葉を用いて何を意図し、聞き手がそれをいかに解釈するかという「言語使用」を研究する言語学の分野で、文字通りの意味を超えた言外の意味や、社会的状況に基づき構築される「発話の意図」を理論的に解明することを目的。(※チャッピーに聞きました!)

PM理論で解剖する「Pm型」の罠

この対人的な未熟さを、リーダーシップ論で有名な三隅二不二の「PM理論」で定義するならば、私は完全に「Pm型」の罠に陥っていると思いました。

目標達成機能であるP機能(Performance)に偏重し、集団の維持や人間関係の調整を担うM機能(Maintenance)を軽視した状態とも言えると思います。PM理論の核心は、「M機能はP機能を最大化させるための触媒である」という点にあります(究極は両方を同時に発動している状態)。
M機能が欠如した状態で、専門用語を武器に論理を振りかざすP行動を強化しても、それは他者にとって「外部からの強制的な圧力」でしかありません・・・。

結果として、私の「理屈っぽい」態度は周囲に強い心的抵抗を生じさせていたと思います。
その根拠は、試聴した私自身は、録画の時の私ではなく第三者的であり、心的抵抗を感じたからです。
本来最大化されるべき「学びの場」そのものを阻害しているように見えました。
P(論理)がM(配慮)を置き去りにした時、コミュニケーションは建設的な対話ではなく、自らの優位性を確認するための不毛な儀式へと堕するのです。というより、陥らせていたのです、私は。

自己呈示のジレンマ:25年のキャリアという「盾」

なぜ、わたしはコミュニケーションのお仕事をさせてもらってきたこれまでのキャリアの中でこうした初歩的ことを学びとれず、「心理的ゲーム」に興じてしまったのでしょうか😢。まるで「相手の間違いを示唆して優越感に浸る」という心理的報酬を無意識に求める自己呈示(Self-presentation):交流分析の枠組み、の歪んだ形のように見えました。

これまでの仕事の取り組みは、本来、自己を豊かにする糧であったはずなのですが、
いつしかその知識は「自分は分かっている」という自己概念を維持するための「盾」へと変質していました。

わかりやすくいうと「マウント行為」・・・。なのでは。
経験を重ねていく過程で自らの論理の前提を疑う「批判的思考」が麻痺し、過去の成功体験という経路に縛られ、素直な学習者としての道を自ら閉ざしていた。(ますます、自分の真実に驚いてしまう・・・)

他方で、
今回の動画視聴は、私の職業的人生における「分岐点(Bifurcation Point)」にできるかも、と思いました。

鏡の中の自分を「手放す」旅の始まり

画面の中の「理屈っぽい私」との遭遇は、羞恥心に震える、極めて苦い体験でした。

しかし、個人の内面的変容プロセスは、こうした痛みを伴う現在地の認識から始まります。
今回の衝撃は、単なる自己嫌悪ではなく、停滞していた私の専門性を真にアップデートするための「自己変革へのエネルギー」になるのでは、と思いました。

「正しさ」を盾に他者に不快感を与える在り方を手放し、M機能〜共感と調和〜を土台に据えたP(論理)を再構築すること、新たな「自分をひもとく旅」の第一歩かもしれません。

最後に、この内省を読んでくださったあなたに、学びの共有を意図して一つの問いを。
受け取っていただけると嬉しいです。

「あなたが『これが自分だ』と信じているコミュニケーション・スタイルを、もし第三者の目で見たら、それは大切な人を笑顔にするものですか?」


わたし、この問いを大事に持っていくことにしました。
ご迷惑でなければ、お裾分け、です。
もし、この問いの答えに一抹の不安を覚えたなら、
鏡の中の「不愉快な自分」を見つめる準備ができているのかもしれません。

真の自己変革は、その不快さの正体を見極める勇気から始まるように、思えています。

この記事を書いた人

marco

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