
「そう見えるかもしれませんね」で終わらせる勇気
不毛な議論のループ
皆さんは、こんな経験をしたことはないでしょうか。
相手に依頼をしたのに、その依頼を真正面から受け止めてもらえず、逆に「いやいや、そうじゃなくて」と言い返される。仕方なく説明を続けても、相手は自分の主張を繰り返すばかり。
こうした場面は、どちらかが正しい・間違っているという問題ではなく、ただただ不毛なやり取りが続いていくだけです。私自身も、今回のAさんとの出来事(昨日のコラム)でまさにそのループに入り込みそうになりました。
そこで助けられたのが、たった一言のフレーズでした。
「そう見えるかもしれませんね」。
このフレーズとの出会いは、私にとって劇的でした!!!
受け流しではなく「終わらせる」言葉
「そう見えるかもしれませんね」という言葉には、不思議な力があるように思います。
- 相手を否定せず、いったん受け止める
- しかし、それ以上深掘りしないで会話を終わらせる
これは単なる受け流しとは違って、むしろ、自分のエネルギーを守るための“終わらせる勇気”だと考えています。
人は「自分の意見が一度受け止められた」と感じると、次に進みやすくなります。
逆に正面から否定されると、余計に主張を強めがちです。
だからこそ「そう見えるかもしれませんね」と返すことで、相手の矛先をやわらかく収められると思うのです。
EQの観点から見る「会話の終わらせ方」
EQ(感情の知恵)の観点で考えると、このフレーズの効果は二つあると思っています。
1. 自己感情のコントロール
相手にイライラさせられたとき、「そう見えるかもしれませんね」と返すことで、自分の怒りを爆発させずに済みます。
2. 相手の感情の鎮静化
受け止められた感覚を相手に与えることで、相手の攻撃性や押しの強さが自然に弱まります。
つまり、この一言は自分と相手の両方を落ち着かせる調整として機能していると思うのです。
実際の場面でどう使うか
実際のやり取りをシミュレーションしてみました。
相手:「いやいや、その予定はこっちが優先だと思いますよ」
自分:「そう見えるかもしれませんね。ただ、今回は関係者の了承も得ていますので、この形で進めます」
あるいは、もっと短く。
相手:「あなたって、そういうところあるよね」
自分:「そう見えるかもしれませんね」
これ以上は深追いせず、その場を終える。
それだけで「不毛な議論」に飲み込まれずに済む。
「終わらせる」ことへの抵抗感
「でも、それって逃げではないの?」という抵抗感だと感じる方も少なからずいらっしゃるかもしれません。
というのが、私がかつてそう思っていたから、です。
最後まできちんと説明し、納得してもらうことが「責任ある対応」だと思っていたのです。
ですが現実には、相手が納得するまで説明を尽くしても、結局は平行線のまま終わることが少なくない、というのがわたしの経験からの仮説です。
平行線のまま進むと、その結果、自分は疲れ切り、相手への不信感が募る・・・のような経験が大半を占めています。
それよりも、必要なところで線を引き、「ここで会話を終える」と自分で決められる方がずっと健全だと、個人的には思ったのです。
「そう見えるかもしれませんね」を支える心構え
このフレーズを自然に使うためには、心の中で次のような整理が必要だと思います。
1. 相手を変えようとしない
説得ではなく、自分の立場を守るために使う。
2. 相手の評価と自分の立場は別物
たとえ評価的な言葉を投げられても、それは切り離して考える。
3. 感情を敵にしない
イライラを抑え込むのではなく、「今センサーが鳴った」と受け止める。
この心構えがあると、「そう見えるかもしれませんね」という言葉が単なる方便ではなく、自分の立場と尊厳を尊重できる大事な盾として機能すると思いました。
会話を終える勇気がもたらす安心
「そう見えるかもしれませんね」で会話を終えるのは、一見消極的に思えるかもしれません。けれど、それはむしろ積極的に自分を守り、相手との関係を必要以上にこじらせないための賢い方法です。
議論に勝つことよりも、消耗を避けること。
相手を変えることよりも、自分の境界線を守ること。
そのための一言が「そう見えるかもしれませんね」なのだと、私は実感しています。
次回は「カチンとくる感情をセンサーとして活かす」というテーマを取り上げます。感情をゼロにするのではなく、自分を守る大切なアラームとしてどう使うのかをご紹介します。
