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会話が噛み合わない本当の理由は?

これまでコーチとして活動をしてきて心理学全般を修めてきた私は、どこかで満足しきっていたのかも知れない、とも思いました。
それが自負となり、「平均以上効果(自分は平均よりも有能であるという認知の歪み)」による慢心として録画のわたしに、、、https://0comb.com/2026/01/05/rikutsu/・・・ではないでしょうか。

「私は論理的に議論をしているつもりだった。でも、録画の中の私は、ただ『不機嫌なマウント合戦』を仕掛けているだけだった」

前回までの記事で、私は録画に映った「理屈っぽい自分」に衝撃を受けたことを告白しました。 なぜ、あんなにも会話が噛み合わず、見ていて不愉快な空気が流れていたのか。
今回は、心理学のフレームワークである交流分析(Transactional Analysis:TA)をお借りして、
「録画の中のわたし」のコミュニケーション不全を解剖します。

交流分析から見ると、大人の対話の皮を被った、幼稚で危険な「心理ゲーム」が見え隠れします。

心の3つの顔:私は「大人」ではなかった

交流分析では、私たちの心には3つの「自我状態」があると定義しています。

  • P(Parent:親の心):ルールや道徳を守ろうとする、あるいは批判的な状態。
  • A(Adult:成人の心):客観的で合理的、冷静に情報を処理する状態。
  • C(Child:子どもの心):感情的で直感的、あるいは親の顔色をうかがう状態。

あのワークショップの日、私は自分自身を「A(成人)」の状態だと信じていました(正確には信じていた感覚すら持っていなかったわけですけれど)。
「成人発達理論」という学術的なテーマについて、専門家と対等に、論理的かつ合理的な議論(AからAへの並行的交流)をしているつもりだったのです。

しかし、録画という客観的な証拠は、全く別の真実を映し出していました。

画面の中の私は、「CP(Critical Parent:批判的な親)」の状態に見えます。
CP、は
「厳格で、批判的、独善的」な状態を指します。
私は「学ぶ」という目的を忘れ、相手の論理の不備を指摘し、自分の正しさを押し付ける「独善的な審判者」のようでした。

あるいは、心の奥底では「AC(Adapted Child:順応した子ども)」が暴れていたのかもしれません。
AC、は
他者の評価を気にしすぎるあまり、過剰に自分を良く見せようとしたり、逆にひねくれたりする状態です。「すごいと思われたい」「ナメられたくない」という未熟な承認欲求が、論理という鎧をまとって相手に絡んでいたのです。

「Yes, But」という名の心理ゲーム

録画を見ていて最も痛々しかったのは、私が無意識のうちに「心理的ゲーム」を仕掛けていたことでした。 交流分析における「ゲーム」とは、無意識のうちに特定のパターンを繰り返し、結果としてお互いに不愉快な感情(ラケット感情)を味わって終わるやりとりのことです。

私が演じていたのは、「Yes, But(はい、でも)」の変種のように思います。

  • 表向きの会話(A): 「先生、ここについて教えてください(質問)」
  • 裏のメッセージ(CP/AC): 「あなたの説明で私を納得させられますか? 多分無理でしょうけど(挑発)」←ひどいな、わたし😰

専門家が丁寧に答えてくれても、私はすかさず「はい、それは分かります。でも(But)、このケースだと当てはまらないですよね?」(ここまで酷くはないのですが、わかりやすくいうとこういう感じ)です。

これは純粋な疑問ではなくて、
相手の提案や回答を次々と却下しているようなもの。
もしかしてもしかすると、「あなたでも私を満足させる答えは出せない」と証明して相手を無力感に陥れ、自分は「優位に立った」という歪んだ満足感を得るためのゲームを仕掛けていたのでは!?。

ところで、結両者が嫌な気持ちになることこそが、このゲームの結末(報酬)です。

「ディスカウント(値引き)」が理屈を生む

だとすれば、なぜ、こんな非生産的なことをしてしまったのでしょうか。
その根底には「ディスカウント(値引き)」という心理作用があるのでは、と思います。

ディスカウントとは、
自分や相手の能力、状況の解決可能性を低く見積もること。
私は無意識のうちに、目の前の専門家の能力を「値引き」していたのではないかと思いました。
同時に、素直に教えを請う自分の姿勢も「値引き」し、プライドを守ることに必死になっていたようにも考察できます。

「理屈っぽい」という現象は、実は「相手の価値を値引きし、自分の正当性を守るための防衛反応」だったのかも、という仮説が持てます。

ゲームを降りる勇気

交流分析は教えてくれます。葛藤や不快なゲームから抜け出す唯一の方法は、「自分の自我状態に気づき、A(成人)に切り替えること」だと。

もしあの時、私が自分の「批判的な親(CP)」や「拗ねた子ども(AC)」に気づけていれば。
冷静な「大人(A)」に戻り、こう言えたのではないでしょうか。

「なるほど、その視点は私にはありませんでした。詳しく聞かせてください」

それこそが、対話を建設的な「平行的交流」に戻し、実りある学びを得るためのルートだと言えます。

「理屈っぽい」正体は、高尚な論理思考などではなく、「大人になりきれない未熟な心が仕掛けた、寂しいゲーム」のように思えてなりません。

この仮説を、まずは自分においてみることにしました。
これからの長い旅には、いろいろ準備が必要なのです。

この記事を書いた人

marco

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