
ある日、少し専門的な案件に携わることになりました。
説明を聞いたものの、その説明はわかりにくく(わかっている人にしかわからない、という説明だった)「これは準備をしなくてはできそうもない」と判断。
そして、素直に「今のわたしにはできそうもない。時間が欲しい」と伝えました。勇気を出して、正直に、です。
すると返ってきたのは、「大丈夫、平澤さんならできますよ!」のひとこと。いわゆる“背中を押すつもり”の応援の言葉だったのでしょう。
でもその瞬間、私の心はザワつきました。
「いや、そういうことじゃない…」と自動思考を始めていました。
この時わたしは、「無理そうだ」と感じたことを無視されるような感覚を持ちました。わかってくれない不満と、不機嫌のスイッチがカチッと入ってしまいました。
「せっかく素直に伝えたのに」。それが、わたしの本音でした。
結局、素直からは程遠い、不機嫌なわたしになったのです。
しかし、このくらいのことでヘソを曲げるわけにはいかない
とはいうものの、です。
「これは、ヘソを曲げたままにしておくわけにはいかないな」と思い直しました。
というのも、仕事ですから。まずはやるしかない。
「しゃーない、やってみるか」と腹をくくり、いつものように資料を読み込み、関連情報をかき集め、準備を重ねました。 やると決めた以上、手は抜きたくない。
そんな私の“根がド真面目なところ”が、ここでやっと顔を出しました。
ただ、心のどこかではまだ「いや、やっぱりこれは説明をしていただきながらでないとできないかも」と、不安やストレスを感じていました。そんな自分の中の葛藤を抱えながらのスタートでした。
やるからには、結果を出したい
結果的に、なんとか終えることはできました。
終えたあと、その人からは「やっぱりできるじゃないですか!」という言葉。
…ええ、そうかもしれません。
でも、私はその言葉にどうしても素直に「ありがとうございます」と言えませんでした。
なぜなら、今回の大変さの根っこには、その人の“説明不足”(理解が難しい説明!)があったからです。
私が「わからない」と言ったのは、決して「やりたくない」からではなく、「説明がわかりにくく理解が難しい」「情報が足りなくて判断できない」からだったのです。
説明の前提がなかったから、準備に相当量の時間がかかり、ストレスも強かった。
食事もろくに喉を通らなかった。
終わってどっと疲れが押し寄せてきたとき、「できるじゃん!」の一言が、まるでその苦労をなかったことにされたように感じてしまったのです。
楽観と楽天の違い
「なんとかなるよ!」という励ましの言葉。
これは、状況によって、とても温かくもあり、残酷にもなります。
今回のように、「説明が不足している」「準備に時間がかかる」ことに気づかずに、当の本人が「あなたならできるから大丈夫」と言ってしまうのは、実は“自分の責任の放棄”でもあると私は感じました。
リーダーの役割は、「その人が実力を発揮できるように整えること」。
「がんばって!」と背中を押すだけではなく、安心してチャレンジできるように土台を整えておくこともまた、大切な仕事だと思うのです。
そして、自分が不機嫌になったこと。素直になれなかったこと。
それもまた、わたしの未熟さ。
心の余白が少しでもあれば、あのときもっとユーモアで返せたかもしれない。
そうも思います。ユーモアは最強ですから!
「素直になる」って、本当に難しい(わたしにとっては)。
ただ、学びは大きかった。
リーダーである時、まずは自分の“素直さ”に目を向けるところから始めなければならない。
自分の態度や言葉が、相手の不機嫌のきっかけになっていないか。ちょっと立ち止まって見直すだけでも、チームの空気はずいぶん変わってくるような気がしています。
わたしも、成長!成長!
