
「部分価値」と「充分価値」──感情と行動の一致が心を自由にする
イライラの奥にあるもの
これまでのコラムでは、イライラをセンサーとして捉えることで、自分の境界線を守る方法を考えてきました。
ただ、ここで一歩立ち止まってみると、「なぜ私はこんなにカチンと来るのだろう?」という問いが浮かびます。
ここで、感情の揺れの観点以外に、
「自分が大事にしている価値観」と「実際の行動」の間のズレ、という観点からも私のケースを考察してみようと思います。
このズレを理解するために役立つのが、
「部分価値」と「充分価値」 という概念です。
部分価値と充分価値とは?
1. 部分価値
- 自分が大事にしている考え方や価値ではある
- しかし、その価値と実際の行動が一致していない
- そのためストレスや不満を生みやすい
例:
「チームメンバーの時間を尊重したい」と思っているのに、相手の押しに負けて自分の意図を曲げてしまう。結果、「本当は大事にしたいことが守れなかった」という違和感が残る。
2. 充分価値
- 自分が大事にしている価値観と行動が一致している
- 自分の内面と外側の行動が揃っているので、自由で落ち着いた気持ちでいられる
例:
「チームメンバーの時間を尊重する」という考えを持ち、そのために微妙な10分をずらして予定を調整する。そして相手からの反論があっても「私はこの理由でこの時間を選びました」と伝えられる。
このとき心は納得しており、自由で軽やかな感覚がある。
部分価値がストレスを生む理由
人がストレスを強く感じるのは、外からの刺激そのものよりも「自分の価値と行動がズレているとき」です。
「本当はこうしたいのに、できなかった」
「大切に思っていることを軽んじてしまった」
こうしたズレが積み重なると、心の中に不協和音が鳴り響きます。
この状態が部分価値であり、イライラや自己嫌悪の原因になるのです。
充分価値で生きると自由になれる理由
一方で、自分の価値と行動が一致しているとき、人はとても自由で穏やかな気持ちになれます。
「大切にしたいことを行動で守れた」
「自分らしい選択をした」
そう実感できるとき、他人にどう評価されても揺らぎません。
これは「充分価値」の状態です。
充分価値で生きることは、必ずしも「いつも正しい選択をする」ことではありません。
むしろ「自分に正直に選んだ」と思えることが心の自由につながるのです。
職場や日常での実践法
では、どうすれば部分価値から充分価値へと近づけるのでしょうか。
- 自分の価値を言葉にする
「私は相手の時間を尊重したい」「私は自分の意見を大事にしたい」など、価値観を具体的に書き出す。 - ズレに気づく
「本当はこうしたかったのに」と感じた瞬間があれば、それは部分価値のサイン。気づくだけで一歩前進。 - 小さな一致を試す
全部を変える必要はありません。たとえば「今回は自分の調整を守ってみる」と小さな一致から始める。 - 結果ではなく選択を評価する
相手に受け入れられたかどうかより、「私は大事にしていることを選んだか」で自分を評価する。
部分から充分へ
部分価値は、人にとって自然な状態です。誰しも、価値と行動がずれることはあります。
大切なのは、そのズレに気づいたときに「じゃあ、次はどう整えようか」と考えること。
充分価値でいられる時間が少しずつ増えていけば、心はもっと自由になり、イライラもストレスもぐっと減っていきます。
感情をセンサーとして活かしながら、自分の価値と行動を一致させていく・・・。
これこそが、EQを日常で実践するうえでの鍵だと、私は感じています。
