
「決めつけられる不快感 ― ラベル貼りへの対応」
「あなたはこういう人ですよね」
こう言われたとき、
あなたはどんな気持ちになりますか?
「わたしの何を知っているというの?」
わたしはそう思いました。
・・・今考えると、
つくづく反応しやすい性格だな、と思います。
そこがわたしの課題なのですが😰
あなた何様のつもり?
さて、わたしは、
「わたしの何を知っているというの?」
の後に、いつも同じことを考えていました。
「あなたって、何様のつもり?」
です。
そして、瞬間的にイラっとしていました。
しかし、次第にわかってきたのです。
相手は悪気も意図もない、ということを。
ただただ、
「自分はあなたのことがわかっている」
「自分は、分析ができるのだ」
と言うことを、誇示したかったらしい・・・と。
現実は、コミュニケーションの受け手の解釈で進んでいく
ところが、受け取ったわたしは、
そうは思わなかった。
自分をディスカウントされたと思ったのです。
勝手に「あなたはこういう人」とラベルを貼られた、と思いました。
そして、そうしたこと_自体をかろんじられていると思ったのです。
もっと正確に自分の考えを述べるなら
「自分のアイデンティティを侵害された」ように感じていました。
人は自分で自分を定義したい存在
とはいえ、人は自分で自分を定義したい存在ですから、
わたしの中に生じた思考は、
ある意味、一般的な傾向と言えるかもしれません。
他人に決めつけられると強い不快感が生じる。
そんな経験をお持ちの方も
いらっしゃるのではないでしょうか。
特に職場で、
年下や立場の違う相手から言われると、
「見下されている」という感情に変わりやすいかもしれません。
どう対処するか
ではどう対処するか。
ここが知りたいところです。
私が試したのは二つのパターンでした。
ちなみにうまくいったので、
今もそうしています。
ひとつは「受け流す」。
受け流す
相手が「あなたは〜ですね」と言ってきたら、
「そう見えるんですね」とだけ返す。
心の中では「はい、またラベル貼りタイム」と名付けて観察する。
↑
文字にしてみると、自分が意地の悪い人間に思えてならない~_~;
ただ、この対応は
わたしにとって、良い効果がありました。
と言うのも、自分の感情的に飲み込まれずに済んだのです。
少し距離を持てた感じがして、
生まれてきた感情を、うまく処理できる状態になれました。
もうひとつは「境界線を引く」。
境界線を引く
これもわたしにはかなり効果的でした。
もし誤解されたくない時は、「私は少し違う考えを持っています」とだけ伝える。
あくまで淡々と、です。
絶対に深追いはしません。
相手がさらに何か言ってきたら、
「あ、そうですか(そうですね)」ですます。
自分の考えは伝えたし、
妥協点を見つけるまでもない、と思いました。
(どっちみち、相手の意見に沿うことになるのはわかっているので)
つまり、相手を変えない、という
この世の普遍性を自分の反映させてみた、と言う試みでした。
ラベルを貼られたときに「正してやろう」と思うと、
わたしは、泥沼にハマってしまいます。
だから、相手の言っていることや考えていることにこだわるのではなく、
自分の返し方を軽くしておくこと。
これが日常のストレスを減らす
効果的な工夫でした。
そして、彼女との戦いはまだまだ続いたのであった。
(勝手に妄想しているだけですが)
